第二章 仮想法廷二 猫おろし事件

 

概要 

 

 京都で木曽義仲が公家を侮辱(ぶじょく)した、食事を強要した、食べ残しを「猫おろしした」とからかったとする通説(俗説)は平家物語の捏造(ねつぞう)であり誤りである。

 

 (注:このなかの証人及び証言は筆者の推定(独断と偏見)です)

 

「猫おろし事件」

 

一  開廷 検察官論告

被告  義仲軍残党(木曽次郎義仲以下将兵代理)
証人 平家物語原作者
証人 平家物語編集者
証人 琵琶法師
証人  猫間中納言光隆
証人  猫間中納言光隆の従者
証人  九条兼実「玉葉」著者
証人 慈円「愚管抄」著者
証人 藤原経房「吉記」著者 
証人 中山忠親「山槐記」著者 
証人 藤原定家「明月記」著者 
証人 鎌倉「吾妻鏡」編集者 

 

裁判長 「ただいまより、寿永二年八月京都における木曽義仲の猫間中納言光

    隆卿に対する侮辱および食事強要事件について審理を開始する。

    検察官は罪名と罰条を述べて下さい」

検察官「木曽義仲は猫間中納言光隆卿を侮辱し、食事を強要した。
    罪名 侮辱罪、強要罪。
     罰条、位階降格、官職降任」

 

裁判長 「被告人は、罪名を認めますか」
被告(義仲軍残党)「認めない。木曽義仲殿は猫間中納言光隆卿を侮辱したこ

    とはない。
     食事を勧めたが強要した事はない。平家物語の捏造(ねつぞう、作り

    話)である」
          
二  義仲伝説の証言
          
検察官 「証人 義仲軍残党に質問します。木曽義仲の出生地はどこですか」
証人(義仲軍残党)「通説(俗説)では関東の現在の埼玉県比企郡嵐山町のよう

    です」

 

検察官 「しかし、現在の群馬県の吉井町(現高崎市)という説もあります」
証人(義仲軍残党)「これは義仲の父の義賢が群馬県で勢力を拡大中で、吉井

    町多胡に国府館や義賢館があったからのようです」

 

検察官 「証人に質問します。木曽義仲の父母は誰ですか」
証人(義仲軍残党)「父親は帯刀先生(たちはきせんじょう、皇太子の護衛隊

    長)を数年勤めた事のある源義賢、祖父は源為義です。義賢の兄は義

    朝です。通説(俗説)では母親は小枝(さえ)御前となっています。母親

    は多分、関東の武将の娘です。あるいは若菜御前という説もあります」

 

検察官 「なかには母親は遊女だったという説もあります」
証人(義仲軍残党)「これは平家物語長門本で養父の中原兼遠が知人に駒王丸

    (義仲)を、ある遊君の子と説明したのが誤解されたようです」

 

検察官 「証人に質問します。木曽義仲の生育地は関東ですか」
証人(義仲軍残党)「通説(俗説)では信濃(現長野県)の木曽町のようです。木

    曽町新開の中原兼遠の屋敷で育てられ、十三歳で元服後は木曽町日義

    に木曽義仲館を建てた事になっています」

 

検察官 「木曽義仲の生育地は現在の松本市という説もあります」
証人(義仲軍残党)「これは養父の中原兼遠が信濃の権守(ごんのかみ、副

    知事)」で、国府のある松本に勤めていたからというものです。しか

    し、数年程度権守を務めたかもしれないが、数十年も勤めたとは限り

    ません。義賢も帯刀先生(たちはきせんじょう、皇太子の護衛隊長)を

    数年勤め、退官してからも元の肩書きを使用しています」

 

検察官 「証人に質問します。木曽義仲は源義賢の子なら源義仲と名乗るので

    はありませんか」
証人(義仲軍残党)「正式な官職名に使う名前は源義仲です。木曽またはその

    周辺の地域で生育したので、通称として木曽義仲を名乗ったのです。

    多分、木曽を名乗る有力な武将がいなかったようです」

 

検察官 「証人に質問します。何故、関東から離れた信濃へ来たのですか」
証人(義仲軍残党)「義仲(駒王丸)が二歳の頃、義賢は関東で鎌倉を根拠地と

    した兄の義朝と勢力争い中で、義朝の息子の悪源太義平に討たれて、

    義仲も殺されそうになったので信濃へ逃げて来たのです。畠山重能や

    斉藤実盛が尽力した事になっています。養父は信濃の権守(ごんのか

    み、副知事)の中原兼遠です」

 

検察官 「証人に質問します。権守とは何ですか」
証人(義仲軍残党)「そのころ国司(県知事)は京都の公家などが任命されて

    も、現地に赴任(ふにん)せず京都に在勤し、現地の実務は適任者を選

    任して派遣したり、現地の豪族などを権守として任命したようです。

    中原兼遠も信濃の権守を勤めたことがあります」

 

検察官 「証人に質問します。木曽義仲に兄弟はいましたか」
証人(義仲軍残党)「はい、京都に兄(仲綱)と妹(菊姫)がいました」

 

検察官 「証人に質問します。その兄と妹は小枝御前の子ですか」
証人(義仲軍残党)「いいえ、小枝御前とは別の京都の妻の子のようです」

 

 

 

 

 

十二  判決

 

裁判長 「判決を言い渡す。

 

     主文、木曽義仲は無罪。

 

     判決理由、


     平家物語の木曽義仲の侮辱及び食事の強要は事実ではなく捏造(ねつ

    ぞう、作り話)である。
 
                    以上」

 

 

 

 

筑摩神社(長野県松本市) 信濃源氏や義仲が信仰したという。
筑摩神社(長野県松本市) 信濃源氏や義仲が信仰したという。
洞光寺(長野県松本市) 義仲が兜を置いたという兜石がある。
洞光寺(長野県松本市) 義仲が兜を置いたという兜石がある。
宝輪寺(長野県松本市) 今井兼平が開基という。
宝輪寺(長野県松本市) 今井兼平が開基という。
寛慶寺(長野県長野市) 栗田氏が開基という。
寛慶寺(長野県長野市) 栗田氏が開基という。
今井神社(長野県長野市) 今井兼平の館跡という。
今井神社(長野県長野市) 今井兼平の館跡という。